<< 2008年01月 >>
|
| 日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
| |
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
| 6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
| 13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
| 20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
| 27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
2008年01月31日(木)
|
|
|
2008年01月15日(火)
|
|
|
2007年11月15日(木)
|
|
|
2007年10月23日(火)
|
|
|
2007年10月13日(土)
|
|
|
2007年10月01日(月)
|
|
|
2007年06月06日(水)
|
|
|
2007年05月30日(水)
|
|
|
2007年05月16日(水)
|
|
|
2007年03月26日(月)
|
|
|
|
|
 |
|
|
アメリカのカウンセリング事情(第2回) 第一期 専門家としてのスクールカウンセラーの誕生
1953年にACA(The American Counseling Association)「アメリカ・カウンセリング協会」の第5部門としてASCA(The American School Counselor Association)「アメリカ学校カウンセリング協会」が設立される。
それは、この時期に専門的なスクールカウンセラーが誕生したことを象徴的に示している。しかし、この職業の発展のうえで、何よりも大きな影響を与えたのは「スプートニク・ショック」によって生まれた「英才教育」を求める大きなうねりであった。優秀な学生、とくに理科・数学の英才を見出し積極的に大学に送り込むことが、科学技術の発展においてソ連に遅れをとったアメリカの急務とされたのである。
「国家防衛教育法」(1958年)は連邦政府が補助金を支出する9項目を設定したが、その中に「中等学校を対象としたガイダンス・カウンセリング・テストの振興」の項目がある。これを根拠として、中等教育におけるスクールカウンセラーが3倍に増員された。また、「初等中等教育法」(1965年)はスクールカウンセラーの訓練やプログラム開発に特別予算を計上した(Paisley & Borders,1995)。しかし、このようにして「急造される」スクールカウンセラーは、現実にどのような役割と機能を果たしえたのであろうか。
Myrick(1993年)はこういう。“ほとんどの州がスクールカウンセラーになる前提条件として教師経験を要求している”が“大学のプログラムは未整備”であり“教育は大学卒業後、4〜5科目を履修すれば州への免許申請が可能となる”
こうした記述から、スクールカウンセラーに対し、専門家としての資質を保証するに足るだけの訓練が行われていたとは考えにくい。しかも、予算をつけた連邦政府の期待は第一に、理数科の英才を見出して、彼らの大学進学率を高めるように指導するところにあった。
この時期のスクールカウンセラーについてMyrickは、“スクールカウンセラーは大学に進学しない生徒たちを無視し、いつのまにか、半行政的な役割を担う者(時間割の作成者、テストの調整者、記録の保管者、管理職の助手)へ転じていった”と述べている。
こうしたスクールカウンセラーの実態に専門界団体は強い危機感を抱いた。そして、伝統的な心理学的査定にもとづく援助のほかに、保護者や教師に対するコンサルテーション、生徒に対する個人及びグループカウンセリング、カリキュラムの開発など、すべての生徒たちの潜在能力を最大限引き出すためのサービス機能こそがスクールカウンセラーの本当の仕事であるとの警告を発していた。しかし、これらの役割をどう具体化していくかについての適切なモデルがまだ存在しなかった。
他方、おびただしいカウンセリング理論がスクールカウンセリングの現場に持ち込まれてきたが、それらを使いこなせるほどにはスクールカウンセラーの養成訓練は専門的ではなく、またほとんどの理論がそのままの形では学校社会になじまなかった。
Myrickは“この時期に、多くのスクールカウンセラーに決定的な影響を与えた唯一の理論gはロジャーズ理論だった”と述べているが、二本でスクールカウンセリングが導入されたときを想起させる興味深いしてきがある。
次回へ続く
|
|
2008年01月31日(木)
No.62
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
アメリカのカウンセリング事情(第1回) アメリカにおけるスクールカウンセリングの進展 (連邦政府の教育政策とスクールカウンセリング)
アメリカでは伝統的に、学校教育は連邦・州・地方学区の3段階にあるそれぞれの政府が権限をもっており、なかでも地方学区の権限が圧倒的に大きかった。しかし、1957年の「スプートニク・ショック」をきっかけとして、連邦政府の教育政策への関与が著しく増大していく。その後、アメリカの教育における「双子の目標」とされる「卓越」(excelence)と「平等」(equality)の達成に向けて連邦政府が行った教育政策は、この時を皮切りに1980年代にかけて、3つの大きなうねるを描きながら変化していった。と同時に、スクールカウンセリングの歴史も、こうした3つの大きなうねりを反映するような形で展開されていった。即ち、第一期には、スクールカウンセラーが専門的な職業として登場する。第二期には、政治的社会的状況の変化の波が、学校にまで及んだ結果、学校をとりまく問題状況が深刻化する。
これに対してスクールカウンセラーがうまく機能を果たせず、スクールカウンセラーという職業、そのものが存亡の危機に立たされる。そして第三期には、スクールカウンセラーが学校環境の中で、真に有効に機能するための社会規定の再検討が図られるとともに、実践と通じての試行錯誤が行われる。
それは、今日まで続けられている。
第二回に続く
|
|
2008年01月15日(火)
No.61
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
『生活の知恵』という言葉があり、それはしばしば過去の経験-『知恵』-を現在にそのまま運用することであるかのように思われているが、人間の世界では、物理学の世界でもそうであるが-同じことは二度と起こらない-『歴史は繰り返さない』-のであるから、正しく言えば、生活の知恵をそのまま現在に当てはめるのではなくて、そうした過去の経験から学んだ知恵を、いかにして『現代に生かす』ということである。
即ち、『創造』するということは、『主体的に独自的な存在になる』という事にほかならない。
我々は生きている瞬間瞬間に、大小さまざまな問題にぶつかっているのであるが、その問題に『主体性』に『独自性』にぶつかっていくというまさにそのことが、自分のその問題に対するぶつかり方-広い意味で言えば『生き方』それ自体-を『創造する』ことなのである。
『創造性』ということは、特別に科学や技術、あるいは芸術の面に限ったことなどではなくて、まさに日常茶飯事のことなのであり、授業の瞬間瞬間、生きている全ての時間に、たえず起こっていることなのである。
第3回はこちら
第2回はこちら
第1回はこちら
|
|
2007年11月15日(木)
No.60
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
サンフランシスコ郊外のサンマチオ・カウンテイの公立中学校の校庭に『学園菜園』がある。ニンジン・ジャガイモ・ブロッコリーなどと書いた札が立っている。3000平方メートルほどの広さだろうか、聞けば有機農法で生徒たちが栽培しているのだと言う。トウモロコシ・キャベツ・大豆・トマトも出来ている。学校での昼食(ランチ)は、自分達の野菜を材料に生徒がこしらえる。
菜園の近くには、長い木の食卓と30-40人は座れるベンチが置いてあった。かつては、荒れ果てた学校だった。校舎は落書きだらけ、ガラスも割られ放題。けれども菜園と料理作りを始めると、子どもたちは少しずつ穏やかになってきた。落書きは消えた。ガラスも割られていない。評判が各地に伝わり、カリフォルニア州当局が教育改革の一環に取り入れた。現在1000を超える公立中学校に、こうした『学園菜園』がある。
その源は、有機農法の食材しか使わないレストランのオーナーであるアリス・ウォーターさんが、レストランの行き帰りにみる中学校のあれようが大変気になった。ウォーターさん自身かつて小学校で教鞭を執った経験があり、また、その中学校の校長とも知り合いだたこともあり、『学園菜園』をつくってみてはと進言した。『子どもたちは出来合いのファースト・フードばかりたべている。体にも、心の健康(メンタル・ヘルス)にも悪い』食事の乱れは学校の乱れ、ひいては国の乱れ。店に訪ねた知人にウォーターさんは語った。
『家族が一緒に、自分たちがつくった料理を食べる機械が減ってしまった。みんなバラバラ』『子どもたちは畑と台所の両方から、生き物や他人への心遣いとか忍耐、自制心を学べるはずなのよ』科学的根拠はわからないが、菜園づくりと心の穏やかさは、確かに関係ありそうである。
この様にアメリカでは、地域社会でこどもたちに地域社会教育を考えて共生しているのである。ウォーターさんがいみじくも語った『このままの生き方では、世の中はダメになってしまう。いろいろなことを試してみようよ』がとても印象的であった。これこそが、『カウンセリング文化』と言えるのではないか。
第4回(最終回)に続く
第2回はこちら
第1回はこちら
|
|
2007年10月23日(火)
No.59
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
アメリカ・アーカンソー州ジョーンズボロの学校で発生した銃による殺人事件は、銃に寛大なアメリカ南部の文化と、それがどうして悲劇に結びつくかという問題を提起している。今回の事件は、子どもたちが簡単に銃と弾薬を入手できることを示したが、こうした社会病理は特定の地域に限らない。
アメリカの学校では、驚くほど頻繁に銃を目にするようになった。過去2年半に、アーカンソー州以外に少なくとも5州で、生徒が同級生に発砲している。
アーカンソー州での銃撃の翌日、オハイオ州で4歳の男児が弾をこめた銃を服に隠していたのが見つかり、カリフォルニア州では13歳の生徒が校長を銃で殺そうとして逮捕された。
1993年に全米の小学校6年生から高校3年生までを対象にした調査では、15%が銃を持ち歩き、4%が学校に銃を持っていったと回答している。銃の大半は子どもたちが家から持ち出したものである。
従って、アーカンソー州の二人の少年が使った殺傷力の高い銃器が、11歳の容疑者の祖父の家から持ち出されたことも、驚くにはあたらない。二人の少年は、父親がカギをかけた銃の保管庫に侵入できず、その後、銃を求めて祖父の家に行ったといわれている。
15州で近年、弾を込めた銃を子どもたちの手の届かない場所に保管するか、銃を操作できないようにする安全装置を使うことを義務付ける法律が成立した。これらの州で、もし子どもが不適切に保管された銃を入手した場合、所持者の大人が刑法上の責任を負う事になる。
アーカンソー州ジョーンズボロの事件は、アーカンソーなど対策が遅れている州の立法をつかさどる者に、子どもから銃を遠ざける具体策の緊急の検討を迫るに違いない。銃の所持者には、公共の安全を保証する重い責任と義務が伴うのは当然のことである。アメリカは、連邦政府であるところから51州各州が州法で厳重に子どもの銃の入手を防止するための方策を考慮することと地域社会における『カウンセリング文化』の構築と確立を地域社会教育の中に取り入れて明確にする必要があると考える。
第三回に続く
第一回はこちら
|
|
2007年10月13日(土)
No.58
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
TEEN COURT(十代法廷) 第1回
アメリカでは、全米41州420ヶ所において『十代法廷』という制度がある。ここでは、『犯罪審査基準』を設けてポイント9以上のケースの場合が裁かれる。これは、模擬裁判ではなく、本格的な裁判である。
検事と弁護士は十代の青少年がつとめ、判事(裁判長)は本職がつとめる。検事と弁護人をつとめる十代の少年・少女は50時間の研修を研修機関で受けなければならない。例えば、ネバダ州のラスベガス市では現在40名の少年・少女が担当している。この法廷では、同世代(10代)の弁護人には率直にすべてを話すことができる(先生や親に話せないことを含んで:ピア・カウンセリング)。
この法廷(裁判)で『有罪』の判決がきまった少年・少女たちは、『社会奉仕10時間』『反省文』『賠償金10ドル(ケースによって異なる)』『陪審員として2時間他のケースにつとめる』が義務として要請される。
これらのすべてが、遂行された後に彼らの『犯罪記録』は解消される。従って『前科』にはならない。このTEEN COURT(十代法廷)の目的は、 (1)まず考えてから行動すること。 (2)自分自身の感情をコントロールすることを学ばせる。 (3)そうして、自分自身に権利と責任を認識させること。 (4)更に『生きる』とはどういうことかを考え『感謝』と『感動』、そして『自分に対する誇り』を持てる人間を育成する。
自分が過去にやってきたことを『十代法廷』という現場に立ち会うことにより自分の国(連邦政府)・州の『司法制度』と『社会奉仕』の意義が何であるかを併せて考えさせ、学ばさせる。また、『陪審員(9名)』も現地の十代の少年・少女によって形成される。法廷では、検事の冒頭陳述から始まり弁護人による弁論が本格的に行われた後に、15分間の『陪審員たち』の評議の結果を検事(裁判長)に報告をする。そして検事(裁判長)が判決を下す。
このことによって、罪を犯した少年は、『自分自身の振り返り(反省)』が出来ると同時に、少年犯罪の早期発見に繋がるのである。これがアメリカにおけるカウンセリングの文化であると確信する。アメリカでの『自由』は常に『責任』が伴うのである。『権利』と『責任』そして『義務』を大切にして人間形成をさせるためにカウンセリング文化が基盤となっている。そして、それらの問題行動をとる少年・少女に『勇気』と『自信』そして『誇り』を再び持たせ『更正』させる事ができるステージとしてTEEN COURTが位置付けられている。
第二回に続く
|
|
2007年10月01日(月)
No.57
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
・Social Skill Developmentはどんな技術領域を目指しているのかといえば・・・
最近の研究によれば、暴力や攻撃的行動をとりがちな人々は、Social Skillに欠けていることが分かってきた。
Social Skillとは、共感、衝動のコントロール、問題解決の仕方、怒りの取り扱い方。さらに研究で分かったことは、子どもたちが非社会的行動をとる理由として、模範の欠如、行動訓練の機会の欠如、不適切な修得などが挙げられます。
この様な研究成果に基づいて、Social Skill Developmentは全学年で共感、衝動のコントロール、怒りの取り扱い方を通して、模倣、訓練、修得の術を教えることを目指している。レッスンの内容は、各学年で変えていますが、ポイントとなる実践術は子どもの成長に応じて適切な物を選んでいる。
・Social Skill Developmentの効果に関する研究
Social Skill Developmentを実践すると、子どもたちの攻撃性や社会行動はどう変化するか効果を調査するために、病気絶滅・予防センターの助成により、1年間の研究を実施した。その結果Social Skill Developmentを学んだ生徒(2年と3年の生徒)は行動面や言語面で攻撃性が減少したことが分かった。更にこれらの生徒は、より良き人間関係を持つようになった。
他方で、Social Skill Developmentの授業を受けない子どもたちは、時がたつにつれて一層悪くなり、行動面、言語面の攻撃性はさらに目立つようになり、社会的行動にも進歩が見られなかった。
"The effectiveness of a voilence prevention curriculum among children in elementary school" (Journal of the American Medical Association,May 28,1999)
このプログラムを展開する際にSocial Skill Developmentに関して予備調査を行った。その結果、Social Skill Developmentの授業を受けることによって、生徒は社会適応能力をより良く理解し、反社会的な価値から遠ざかることがわかった。Social Skill Developmentの指導を受けない子ども達には、進歩が見られなかった。
「いじめ問題」を考察してみて(第四回) (第一回はこちら) (第二回はこちら) (第三回はこちら) (第四回はこちら) (第五回はこちら) (第六回はこちら)
|
|
2007年06月06日(水)
No.56
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
これは、米国コネティカット州ニューへブン市の教育委員会と、 エール大学の教授、そし地域の有識者が集まり十数年かけて作成した "Social Skill Deveropment Program"である。
このプログラムの基本は、
・共感する心 ・思いやる心 ・衝動のコントロールをどうやるか
などなど中学校低学年から高等学校の低学年の生徒を対象として、 多感な時代(思春期)の子どもたちのために各学年ごとにプログラムを作成して実施するものである。これは先生やカウンセラーが行うのではなく、ファシリテーターを育成・養成して各学校の徳育の時間なりホームルームの時間に先生(担当の先生)と共に展開するプログラムである。
例を挙げて説明してみると
・暴力防止カリキュラム(いじめなど)
これは子どもたちの普段の何気ない態度や行動を考えることによって、暴力の発生、いじめの発生を防ぐことにある。このカリキュラムでは、子どもの衝動的・攻撃的行動を少なくする術を教え、子どもたちの社会への適応能力を高める。
子どもたちのSocial Skillを発達させ、暴力・いじめを減少させるためには、全面的な取り組みが必要であるが、その際、学校や家庭で行うSocial Skill Developmentの内容は、極めて重要な位置を占めている。
「いじめ問題」を考察してみて(第四回) (第一回はこちら) (第二回はこちら) (第三回はこちら) (第四回はこちら) (第五回はこちら)
|
|
2007年05月30日(水)
No.55
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
小さな「いじめ」は、いつでも、どこでもある。 子どもの世界のみならずとも、サラリーマンの社会にもあるし、かつては軍隊の中にもひどいものがあったと言われている。実際のところ、ほとんどの人がなんらかの形で、自分は「いじめ」られたことがあると思い出すのではないだろうか? 特にそれぞれの環境の中で、なんとなく変わっている、周りと違っている部分がある、という人は例外なく「いじめ」の洗礼を受けている。そこで「いじめ」の解決策・施策として挙げられるのが”Social Skill Development”(社会技能開発)である。 かつて、家庭教育の中で「躾(しつけ)」というものがあって(今でも両親が躾を重要視している家庭もあるが・・・)、これは親が子どもたちに「すり込んだもの」とされている。
例えば、悪い事をしたら・・・「ごめんなさい」と言う。 良いことをして、ほめられたら・・・「ありがとう」と言いなさい。
他にもあるが、本人が好むと好まざるとは関係なしに、親から言われた通りにしている場合がある。この場合には「感謝の念」からのありがとう。「自責の念」からのごめんなさい。ではなく、こうした場面・場合にはこれを使う的なことがあった。又、相手に対する尊敬の念、友愛の念などは関係がなかった。
これに対して、相手に対して、まず思いやる気持ちを持つこと。そしてキーワードは「感謝と感動」これをSocial Skillとして身に付けるという教育である。指導でもある。
第六回に続く
「いじめ問題」を考察してみて(第四回) (第一回はこちら) (第二回はこちら) (第三回はこちら) (第四回はこちら)
|
|
2007年05月16日(水)
No.54
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|
 |
|
|
「いじめ」が社会問題(今日ほどではないが・・・)となって久しいが、この間特定の個人のあいだで身体的あるいは心理的な暴力の反復がどうして定着するかについて、関係者の間で議論がされていたが、実証的考察になると、意外に少ないのが現状ではないだろうか?
「いじめ」の問題の解決には学校だけではなく、家庭も、教育委員会も、地域社会も協力しなければならないのだが、学校が中心であることをいささかも曖昧にしてはいけない。かつて「いじめ」に関する電話相談の試みも行われたが「自殺したい」と匿名の電話があったときにその対応・取扱について議論が分かれたことでもわかる通り、学校が正面に立たなければ一つ一つのいじめは解決しないのである。「いじめ」は学校側の教える体制が不十分なことと子どもの側の集団心理の双方からの原因でここまで根深い問題になったのだと思われる。
自殺する生徒が出るたびに関係者は驚き慌てて、全校集会を開いて学校は謝罪・反省し、校長は全校生徒に訓示を垂れる。というパターンが繰り返されている。どう弁解しようと、次々と子ども達が自らの命を絶っているということは現実である。これこそが「いじめ」に対してなに一つ有効策・施策が打ち出されていない証左である。学校と社会は無策と無責任を糾弾されるべきれある。最も懸念されるのは、追い詰められた精神のバランスを失っている子どもたちにとって、自殺が安易な逃避的解決法として流行するという現象である。
そして、この様なことが繰り返されていくうちに、社会のインパクトが薄れてゆくことが怖いことである。いかなるショックも度重なれば慣れが生じるというのは、自己自衛本能の生理によるものである。
「いじめ問題」を考察してみて(第四回) (第一回はこちら) (第二回はこちら) (第三回はこちら) (第四回はこちら)
|
|
2007年03月26日(月)
No.53
(カウンセリングコラム)
|
|
| ------------------------------------------------------------------------ |
|
 |
|
|