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2007年01月14日(日)


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『心の安全基地』としての家庭教育とその教育環境カウンセリングのあり方(第四回)

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 夫の存在感が希薄だと、専業主婦の母親はわが子に献身的になってしまう傾向が強い。子どもの方は、ひたすら母親の価値観を内面に取り込み、いじめの場合に遭遇しても、『おかあさんでも、こうするに違いない』という形で気持ちを整理して黙認を決め込む。自制心や勇気の発達が阻害される土壌が子ども中心主義の家庭に培われているのである。ただ、だからといって直ちに『父親の力』の復活を結論とするのは、早計と思われる。そもそも、日本では、子どもを生来、無垢な存在とみなす傾向が強く、本質として『良い子』なのだから、その性質を十分に表現できる環境整備につとめるのを大人の役目とみなしてきた節がある。父親とて例外ではなく『背おw見せる』式に接して、子どもがその気になるのを期待する形式の育児を行う伝統が根深いように見える。ところが社会の産業構造が近代化を遂げ、夫の職場と家庭とが空間的に分離されてしまうと、父親はもはや子どもに『背を見せる』機会や場そのものを、失くしてしまうことになる。この半世紀、そういう状態が続いてきた。それでも父親の力の希薄化が問題となってこなかったのは、学校が肩代わりしていたからである。外がいかに欲望のうず巻く世界であろうとも、リーダーへの服従・時間の厳守・単純反復作業への従事を、強力に指導してきたが、それにも限界がある。社会の情報化・国際化の波のした、ソビエト連邦の崩壊と同じく、支えきれなくなってしまった末に、今日の状況に至っているのではないだろうか。そして、いじめばかりか、学校崩壊と呼ばれる事態まで招き、友人に向かっていた攻撃の矛先は教師にも、しかもやはり傍観者に支持されて向けられるようになった。

 現に、教師の話を聞きたいクラスの誰かが抗議でもしようものなら、攻撃は直ちにそちらにも加わるであろう。塾通いが普及し、学校で教わらなくとも、さして困らない内情もある。授業が成立せずに困るのは、むしろ教師の方である。クラスの少数の反乱であるならば、彼らに相対的に辛い評価を下すことができる。しかし、全体規模の授業放棄に対し、子の資質を伸ばす環境整備に力点を置き、まあ生徒の協調性や友人関係を重視するクラス運営では、批判する論拠が見えにくい。どうして『授業時間中は座って聞く』必要があるのかを説得性を持って大人が子どもに語れないという構造的問題が、そこには内在している。問題が発生した場合には、クラスごとに状況の第三者的見極めを可能にする組織を、校内に設けることが早急に必要ではないだろうか。

キーワード『家庭教育環境設備』『子どもの居場所』
2007年01月14日(日)  No.51 (カウンセリングコラム::『心の安全基地』としての家庭教育とその教育環境カウンセリングのあり方)
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