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2008年01月31日(木)
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2008年01月15日(火)
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アメリカのカウンセリング事情(第2回) 第一期 専門家としてのスクールカウンセラーの誕生
1953年にACA(The American Counseling Association)「アメリカ・カウンセリング協会」の第5部門としてASCA(The American School Counselor Association)「アメリカ学校カウンセリング協会」が設立される。
それは、この時期に専門的なスクールカウンセラーが誕生したことを象徴的に示している。しかし、この職業の発展のうえで、何よりも大きな影響を与えたのは「スプートニク・ショック」によって生まれた「英才教育」を求める大きなうねりであった。優秀な学生、とくに理科・数学の英才を見出し積極的に大学に送り込むことが、科学技術の発展においてソ連に遅れをとったアメリカの急務とされたのである。
「国家防衛教育法」(1958年)は連邦政府が補助金を支出する9項目を設定したが、その中に「中等学校を対象としたガイダンス・カウンセリング・テストの振興」の項目がある。これを根拠として、中等教育におけるスクールカウンセラーが3倍に増員された。また、「初等中等教育法」(1965年)はスクールカウンセラーの訓練やプログラム開発に特別予算を計上した(Paisley & Borders,1995)。しかし、このようにして「急造される」スクールカウンセラーは、現実にどのような役割と機能を果たしえたのであろうか。
Myrick(1993年)はこういう。“ほとんどの州がスクールカウンセラーになる前提条件として教師経験を要求している”が“大学のプログラムは未整備”であり“教育は大学卒業後、4〜5科目を履修すれば州への免許申請が可能となる”
こうした記述から、スクールカウンセラーに対し、専門家としての資質を保証するに足るだけの訓練が行われていたとは考えにくい。しかも、予算をつけた連邦政府の期待は第一に、理数科の英才を見出して、彼らの大学進学率を高めるように指導するところにあった。
この時期のスクールカウンセラーについてMyrickは、“スクールカウンセラーは大学に進学しない生徒たちを無視し、いつのまにか、半行政的な役割を担う者(時間割の作成者、テストの調整者、記録の保管者、管理職の助手)へ転じていった”と述べている。
こうしたスクールカウンセラーの実態に専門界団体は強い危機感を抱いた。そして、伝統的な心理学的査定にもとづく援助のほかに、保護者や教師に対するコンサルテーション、生徒に対する個人及びグループカウンセリング、カリキュラムの開発など、すべての生徒たちの潜在能力を最大限引き出すためのサービス機能こそがスクールカウンセラーの本当の仕事であるとの警告を発していた。しかし、これらの役割をどう具体化していくかについての適切なモデルがまだ存在しなかった。
他方、おびただしいカウンセリング理論がスクールカウンセリングの現場に持ち込まれてきたが、それらを使いこなせるほどにはスクールカウンセラーの養成訓練は専門的ではなく、またほとんどの理論がそのままの形では学校社会になじまなかった。
Myrickは“この時期に、多くのスクールカウンセラーに決定的な影響を与えた唯一の理論gはロジャーズ理論だった”と述べているが、二本でスクールカウンセリングが導入されたときを想起させる興味深いしてきがある。
次回へ続く
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2008年01月31日(木)
No.62
(カウンセリングコラム)
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アメリカのカウンセリング事情(第1回) アメリカにおけるスクールカウンセリングの進展 (連邦政府の教育政策とスクールカウンセリング)
アメリカでは伝統的に、学校教育は連邦・州・地方学区の3段階にあるそれぞれの政府が権限をもっており、なかでも地方学区の権限が圧倒的に大きかった。しかし、1957年の「スプートニク・ショック」をきっかけとして、連邦政府の教育政策への関与が著しく増大していく。その後、アメリカの教育における「双子の目標」とされる「卓越」(excelence)と「平等」(equality)の達成に向けて連邦政府が行った教育政策は、この時を皮切りに1980年代にかけて、3つの大きなうねるを描きながら変化していった。と同時に、スクールカウンセリングの歴史も、こうした3つの大きなうねりを反映するような形で展開されていった。即ち、第一期には、スクールカウンセラーが専門的な職業として登場する。第二期には、政治的社会的状況の変化の波が、学校にまで及んだ結果、学校をとりまく問題状況が深刻化する。
これに対してスクールカウンセラーがうまく機能を果たせず、スクールカウンセラーという職業、そのものが存亡の危機に立たされる。そして第三期には、スクールカウンセラーが学校環境の中で、真に有効に機能するための社会規定の再検討が図られるとともに、実践と通じての試行錯誤が行われる。
それは、今日まで続けられている。
第二回に続く
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2008年01月15日(火)
No.61
(カウンセリングコラム)
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